- 友湖の裂
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2022.01.19 Wednesday
昨年お茶事でお会いした方が茶入れの仕覆を頼みたいと、いらっしゃいました。
1つの茶入れに2枚の仕覆を作ることにし、表裂、裏裂のカイキ、緒とつがりの絹糸を決めてもらいました。
その時、土田友湖さんのセミナーに参加した時にもらった裂というのを持参され、何かに使って欲しいと頂きました。友湖さんのオリジナル裂を裂のまま見るのは、めったにありません。
ちょっと、記憶のためにアップしておきます。
【撫子緞子】
【織部緞子_紹巴】
織部好みには、梅と浪がよく出てきます。
これは、縹地織部緞子の本歌と酷似の構図で梅花に蕾の小枝が付属しますが、緞子ではなく紹巴の織になっています。
さて、小さい裂ですから何を作ります?・・・茶杓袋か菓子切の鞘くらいですかね?
- コプト花盃文など
- 名物裂の研究:澁江終吉著
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2021.07.14 Wednesday
今日のお茶のお稽古は、茶箱「卯の花」の拝見付きでした。
茶箱が始まると、それぞれの古帛紗が気になりますね。
以前に手作りの古帛紗をプレゼントしたお仲間から「今日は茶箱なので、頂いた柔らかい古帛紗を持ってきました。私の買った古帛紗は硬くてお茶を出すとき手で押さえないと平になってくれないのです。裂の名前を忘れたのですが・・・なんでした?」。彼女にあげたのは、「円文白虎朱雀錦」原本は法隆寺伝来の飛鳥時代の錦であると。
最近、裂地の名前が出てこないことがよくあります。あの本のあの辺に掲載されている裂なんだけど、???
そういえば、10冊以上ある名物裂の本は、ずっと書棚で居眠り中であることを帰路思い出しました。
1冊だけ持ち出していいと言われたら、多分この本になります。
昭和8年の本ですから、中国は支那と書かれています。最近の本にある、復元裂の話はなにもありません。現存する(いえ、そのころ現存していた)または、文献で伝承された裂のみについて、澁江氏の濃厚な意見を付加して書かれています。
茶花でいえば、外来種や園芸種は含まないと言ったものですね。
茶花にも「真・行・草」があり、その乱れがとても気になる昨今です。真の花入れに草の花を行・草の入れ方で入れていたりするのをよく見かけます。先生は、「心で思うだけで、決してこれを声に出してはいけません」とおっしゃいます。
それと同じようなことが、裂と道具についても言えると澁江氏が書いていた気がします。ある茶入れがありそれが国焼のものであっても、有名だから、高価だからこの裂で仕覆をかけたいとか。問答で「お裂地は?」と問われて知られた名前を答えたいとか。これは違うのではないか?昔の茶人達は、名もない裂を、そして自ら見つけてきた真似をされない裂を用いて自らの審美眼で仕覆をかけたが、その底には道具の格と裂の種類の基本的な関係は守られていた。裂が道具を、道具が裂を選ぶのだと・・・そんな風に語っていました。今の時代の仕覆と道具の関係をもし澁江氏が見たら、驚嘆のほど想像を絶します。
もう一度、じっくり読み返してみたくなりました。
- 裏海気の打掛
- 唐桟の袴
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2019.05.11 Saturday
茶碗の仕覆の唐桟裂を探していて、まだ解いていない古い幕末の袴が見つかりました。
その気になって、一気に解きました。袴は一般的に細かい縫い目で縫われていて、縫い代も小さいので解きは大変だという事を思い出しました。
袴腰という名前の名物裂緞子がありますが、袴の腰板の台形の部分を上下に組み合わせた図柄です。
古い腰板は、杉板に和紙を貼り、その上に表布を張り付てあります。和紙はほとんどがリサイクル物で墨蹟が楽しみです。
全部解くと、布をネットに入れて洗濯します。大体1分脱水し、15分外で乾かし、すぐにアイロン掛けという工程になります。
しかし、今はとても外気が乾燥しています。15分干して取り込もうとしたら、乾きすぎて失敗でした。
ピタッとアイロンするには、半乾きでなければなりません。
仕方がないので、もう一度すすぎ、1分脱水をやりなおし、外に干さないで、椅子の背に広げて片っ端からアイロンをかけました。
本唐桟は糸が細く薄手の木綿なので、乾きやすいのですね。
これで、仕覆が作り始められます。
- 名物裂 渡来織物への憧れ
- 骨董市
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2017.02.05 Sunday
仮住まいが何十年も通った骨董市のお寺のすぐ近くです。朝になって、不思議なことにそわそわ・・・気が付くと、市に来ていました。向こうからお仲間が手を振る、おなじみの店主が会釈する・・・「お久しぶり」「もう2年くらい来ていないんじゃない」「元気だったの?足の具合は?」と会話がはずみます。
思えば、このお寺の骨董市は通い始めてもう40年近く経っています。出店する店主も訪れる客も時とともに随分変りました。昔は、青山の「もりた」さんのご主人も愛犬を連れて毎月いらしていました。ここ2年遠ざかっていた間にも、ずっと長い間来ていたお店がいくつかなくなっていました。
カイキの総裏がついた馬乗の唐桟の袴、表裏とも和物です。懐かしくて買ってしまいました。紫のカイキはあまり仕覆に使いませんが、どうしても色が決まらないときは紫と決めていますから、まあ、あってもいいかも知れません。そんな気持でGET、やはり病気は続いていたようです。
おなじみのヨーロッパ更紗、この手も最近はそれほど頻繁に出会わなくなりました。ちょっと大きめの風呂敷大のサイズです。悪いところを補修して、裏を貼り、また道具風呂敷に復活させようと思います。
- 縞
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2016.09.21 Wednesday
YAHOOで落札した日本染織藝術叢書の「縞」という本が届いていました。
昭和45年発行、著者は山辺知行。
99種の縞(奈良時代〜江戸時代)が全てカラーで掲載されています。早速中を拝見
序文は、大佛次郎が書いています。
「外国には日本ほど縞の流行はなかったとも言えるようである。一つは、縞が、日本人の体質によく似合い、人目をおどろかす性質がなく、控え目の優しい姿のものの故もある。・・・縞など実に単純なことと錯覚しているものが、直線の幅と色の組み合せだけで、実に鮮かに、厚味もあり奥行もある豊富なヴァリエションを奏でて私どもを驚かす。・・・」
小説家と裂の結びつきは少少意外な気もしますが、芥川龍之介が更紗の事を書いていたり今までにも見かけました。
占城(チャンパ)裂を紙面で見たのは、はじめてのような気がします。時代は室町となっていました。おなじみの唐桟も並ぶと楽しいですね。紅唐はアップで2種でていました。
江戸期の越後上布、こんなに繊細でリズミカルなものだったのですね。
名物裂経錦でおなじみの獅噛文長斑錦(奈良時代)、龍村の復元裂と並べてみたくなりますね。縞と染めどちらかしか選べないとしたら、あなたはどちらを取りますか?
- 丹波布裂帳
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2016.07.01 Friday
お母様が長年収集された丹波布を小さな裂帳にまとめたというものが届きました。
23種の古いれっきとした丹波布が一枚ずつ丁寧に貼られています。「れっきとした」という言葉を使うとあれっ?と感じるかも知れませんが、丹波布ではなく丹波木綿が混ざっていたり、近年作られた丹波布が混ざっていたりしないという意味です。もちろん近年の作がどうこうという意味はありませんが、時代の布の優しさは、時代が作るもの・・・近年の蚕が食べる桑が育つ水も空気も太陽も昔と違います。目をつむって触ると裂が教えてくれます。
中にはとても古いものもありました。裂帳の裏は白紙になっていましたので、手持ちの丹波布を貼って行きたいと思っています。全部集めても23 種も今はないかも知れませんが。