- 日本の自然布
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2024.01.27 Saturday
以前に誰かに貸して、戻ってこなかった本「別冊太陽 日本の自然布」は、絶版本で現在はプレミヤが付き、中々入手できませんでしたが、やっと新しいものが届きました。2004年1月の初版ですから、20年前の本ですね。現在では、こういう本は作れないでしょう。
吉岡幸雄氏は、2019年に他界され、現在は娘さんが染織家として活躍しています。紫のゆかり 吉岡幸雄の色彩界 (sachio-yoshioka.com)
江戸期の染織資料も、繊維組織の顕微鏡写真も興味深いものです。
- 芭蕉布のドア
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2021.09.22 Wednesday
最近、昔の裂のお仲間と何となくラインで交流するようになりました。ボケ防止にはいいかもしれません。昨日も会社で仕事中に書き込み通知音が何度も鳴って、周りから白い目!急いで消音モードにしました。
仲間のお一人に自然布に没している方がいらっしゃいます。40年も骨董市に行くたびに、珍しいからとすすめられて時々求めた自然布達も家の建て替え時にかなり捨ててしまいました。好きな人には貴重でも、普通の一般人には、ボロに近いものですし、その辺のコーヒー豆が入っている麻袋と変わらないと思われます。
金継した高台も真っ黒になった古陶の茶碗に一服を点て、癒しの時を得るのと同じかもしれません。
家を建て替える時にお世話になることになる工務店の事務所に初めて行ったとき、事務所のドアガラスに荒麻が仕込まれているのを見つけました。その工務店のものの見方、感じ方、感性が垣間見られた気がしました。
そこで、我が家のリビングドアを真似て作ってもらいました。荒麻は純正の芭蕉布(持ち込み)に変え、木の分量は、芭蕉布のサイズに合わせて設計しました。ガラスとガラスの間に薄い芭蕉布を仕込むのは、荒麻より大変だったと聞いています。
無地の芭蕉布にしたのは正解だったかも知れません。柄が入ると「和」と「琉球」の主張が強すぎて空間を圧迫してしまいます。今でも、リビングの椅子に座ってドアを見る時、最初に見た荒麻ドアの感動を思い出します。
- 鳳凰の京更紗
- 小倉木綿2種
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2017.06.04 Sunday
今日は、骨董市の日です。仮住まいのすぐ横がお目当ての場所なので、行かないわけにはいきません。
入り口のおじさんのところに杵、月でウサギがお餅をつくあの形状の杵がありました。最初に目に留まり、そのまま古裂のところに行きました。久しぶりに小倉木綿に出会いました。
脚絆
袴の解き
味のある糸、味のある色、小倉木綿そのものでした。時代もあり仕覆裂にぴったりです。
さて、また杵のところにやって来ました。買いたいけど、どこで何に?友人は、玄関で古裂を掛ける棒にしたらどうかと提案します。買って帰ると、家人に「何に使うの」「どこに置くの」と言われるでしょう。お店のおじさんは、そう言われ続けて30年もここに通っているのでしょ?今更何を言われても・・・連れて帰りなさいと。結局、今玄関先に鎮座しています。
- フェイドアウトの更紗
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2016.12.24 Saturday
昨日お茶事に出かけたとき、腰掛待合の円座について考えました。用意されていたものは、正式な菅(スゲ)の1尺Φの円座でした。
私の茶室はどうするの?と自問。どうも、菅を準備する気持になりません。何しろ計画のステータスが茶室以下ですから。
古い更紗で円座もどきを作ってみたらどうかしら?以前にどこかで赤地ペーズリーのヨーロッパ更紗で作った円座見立てが用意されていた茶室がありました。ヨーロッパ更紗では何だかお煎茶風になりそうだし、裂地も薄くてすぐ破けそうな気がしますし、腰掛がにぎやかすぎる。古い和更紗ならどうでしょう?
江戸末の堺更紗、布団表一枚分を思い出しました。十分に時間をかけて、かけた時間の分だけ全体にフェイドアウトしています。尺四方に角を少々フィレットして円座風にするそんな計画です。この裂は、140x175cmの一枚もので出来ています。江戸末頃にこの幅の国産木綿布は織れなかったはず、手紡ぎの白布で輸入されたものに堺で染められたものでしょうか?布の質感は鬼手印度更紗の裂と似ていますが染めはどう見ても堺更紗で、ちょっと不思議な布です。
以前に友人に話したとき、1枚ずつ裂地を変えて作ったらと言われました。それも面白いけど、遊びすぎでは?さて、我が家の円座はどうなるでしょう?まだ先のことですから、ゆっくり考えたいと思います。
- 武州の唐桟
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2016.07.13 Wednesday
ネットで面白い小冊子を見つけました。
昭和48年にギャラリー吾八というところが発刊した「これくしょん」53号・・・この号は、武州で唐桟を作り継承している3代目の故斉藤豊吉さんの話が書かれています。表紙に5.5x3.5cm 程の斉藤さんの手による本物の唐桟裂が貼られています。
渡りの唐桟を忠実に模すために、40番〜60番手の双糸を用い、手間のかかる植物染料で木綿糸を染め、織り上げた唐桟です。
斉藤家に伝承されている唐桟は、明治初年、昭憲皇太后の殖産所で、千葉県印旛郡白井村出身の斉藤茂助が伝習し、以来、館山において、代々その技法を受け継いでいるのだそうです。
和唐桟にも、このような味わい深いものが有ったのですね。
- 芭蕉布
- 大正更紗?
- 和更紗の風呂敷